2022年。
日本の音楽市場は世界のベストパフォーマーとなった。
その裏にはオーディエンスに音を、そして感動を届けるため電車に飛び乗り、人波をかき分けて歩くミュージシャンの姿があった。McKINLEYのコウヤだ。
秋晴れのある日の東京。
コウヤは今まで使っていた腕時計が壊れてしまったらしく、同じブランドの腕時計を新調した後、ライブハウスに向かうため地下鉄を次々乗り継ぎ、駅の階段を一段抜かしで駆け上がっていく。携帯電話にはプロモーターや興行主から次々とアポイントメントが入る。
夕食の時間はあるだろうか、と、この日買ったばかりのヴァシュロン・コンスタンタンに目をやる。聖ヨハネ騎士団の象徴「マルタ十字」をシンボルとしたその腕時計は、一秒間に8回時を刻む。コウヤは、ヴァシュロン・コンスタンタンのヒストリークアメリカン1921を購入した理由について、普段は滅多に見せることのない笑顔で、こう答えた。
「聖ヨハネ騎士団は、キリスト教巡礼者を助けるため自らの命を賭した者達なんだ」
そして照れながらこう言った。
「僕も人々を解放しようと努力している。僕の目標は人々を救うことだからね」
あの日。
コウヤも、彼の仲間でありライバルとも言えるミュージシャン達も、世界の音楽ビジネスが好転していくと予感していた。その追い風に乗り、世界というグローバル市場で自身の音楽の拡大を模索していたMcKINLEYは、新規メンバーのオーディションを開始。新たに海外から80人ものメンバーが加入したことで人件費が膨らみ、2021年3月には過去最大となる70億円の損失を計上。その後、ダンスドリルチーム「有給休暇」だけを残し、その他のメンバーを解雇し、McKINLEYは表舞台から姿を消した。再びショービズに返り咲いた今、赤字を埋め合わせるかのように日夜営業活動に励んでいたのはコウヤだった。
世界をまたにかける一流アーティストに比べれば、McKINLEYのギャランティは低い。それでも毎日電話をとり、プロモーターのもとへ足しげく通い、自らの音楽を、解放の足掛かりにすることに汗を流した。こうして、もう一人のMcKINLEY・マサカズが次々に引き受けては陥っていたオーバーブッキングをさばき続けた。しかし、海外での赤字ばかりが目立ち、孤軍奮闘するコウヤにスポットライトが当たることはなかった。
現在は「音楽不況」と呼ばれ、CDの売り上げもライブの動員も低迷している。しかしコウヤは言う。
「今のミュージックマーケットはチャンス。リスクをとってオーバーブッキングでもいい。アップサイドダウンはあり得る」
McKINLEYのライブ回数もこの1年でだいぶ増えた。一時期は場末のクラブなど、30人程度を前にこの唄などを演奏していたが、今はキャパシティ1,000人以上の会場も巡ることができるようになった。これまで長い間聴きもしなかった層も、今では「面白そうに僕らの音楽を聴いてくれる」という。
コウヤはこの日、6件のライブハウスを訪問。移動中も寸暇を惜しんで電話をした。ズボンの右ポケットに入れている黄色い折り畳み式の携帯電話の発信履歴は96件だった。自宅を出てから8時間、芭蕉布仕立てのかりゆしウェアはすっかり汗まみれになっていた。夕食もとらず水も飲まない。ようやくよく冷えたルートビアの缶に手を伸ばしたのは自宅に戻った午後10時55分だった。しかし再び携帯電話が鳴ると、苦笑いで開けかけていたプルトップを元に戻した。
いかなる結果が訪れようと、”前後際断”が座右の銘であるコウヤは今を生き続けるだろう。ある日、大阪のとある街で彼は倒れた。 搬送先の病院で医師から声帯ポリープ喉頭肉芽腫過緊張性発声障害の疑いと告げられた。衝撃がコウヤを襲った。幸いなことに、その後の治療により徐々に改善。しかしそれ以降、コウヤは命の大切さを実感し、一日一日を、一秒一秒を、精一杯生きることに決めた。
コウヤのマラカスには、20以上の偉人の格言が書き込まれている。作家のマーチン・ファーカー・タッパー、プロボクサーのモハメド・アリ、哲学者 のエリック・ホッファー、風船おじさんと呼ばれた鈴木嘉和。
古代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスはコウヤに毎日こう呼びかけている。
「人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい」
そしてその下には「素晴らしい朝焼けだ!」と、風船おじさんの最後の言葉が赤いペンで書かれている。
別れ際、常に未来を見据えている彼は、私にこう言い残し去っていた。
「将来の結果や過去の失敗にとらわれず、”今この瞬間”に集中したいんだ」
“開拓者”であり続けるミュージシャン、コウヤ。
常に進化し続ける彼を、私たちは忘れてはいけない。


