ここは病院。
その一室に、窓際のベッドにもたれながら窓の外を見つめるコウヤの姿があった。
声を出すことすら出来ない彼の瞳には、今までのような輝きは無かった。

声帯ポリープ喉頭肉芽腫を伴う過緊張性発声障害。
同業の界隈で聞いたことはあったが、まさか自分に白羽の矢が立つとは思いもよらなかった。

窓の外は雨。
通りの向こうには、雨に煙る教会が見える。
赤茶色のモザイク屋根の上に集まる鳥たち。
薄汚れたステンドグラス。

コウヤは僅かながら賛美歌が流れてくる、その教会を見つめていた。
パイプオルガンの音色に溶け込む天使のような歌声。彼はその甘美な歌声には敢えて耳を閉ざし、雨の音だけに集中しようと試みていた。

教会の横には小さな庭があり、そこに建てられたドーム型のガゼボの中に、赤いベンチが置かれていた。コウヤは、雨宿りのためにベンチに腰掛けている赤いジャンバースカートの少女が、ふと目に留まった。

ファンから届けられた多くの花束やメッセージ。それら贈り物の数々は、この病室の前の廊下にまで溢れかえっていた。コウヤは、その中に見覚えのある蝋封が押された封筒を見つけていた。

窓の外の少女と封蝋がコウヤの頭の中で繋がった。

心の中に漣が立つ。

コウヤは入院して以来、排泄の時でさえ降りることのなかったベッドを降り、その封筒を手に取ると、勿体つけるように一文字一文字を大切に目で追った。

――どこででも歌うよ。今を一緒に生きているから。

あの人だ。
たった一行の手紙だったが、コウヤにはその意味が十分に伝わった。

コウヤは男の泣き方は、往年の演歌歌手よろしく「顔で笑って心で泣いて」だと思っていた。しかしこの瞬間、彼の考えは変わった。深い昵懇を感じた時、そんな時にはどんな益荒男だって大粒の涙をこぼしたって構わない、と。

通りから聞こえる石畳を駆け抜ける自転車のタイヤの音。
路地裏を駆け抜ける子どもたちの声。

そして窓の外の音の中に、どこかで笑っている「あの人」の声が聞こえた、気がした。
その笑顔の向こう側で、世界中が待っている、気がした。
捥がれた翼を再び手に入れた、ような気がした。

雨は上がり、雲の隙間からこの街の方々に細い光が差し込んでいた。

コウヤは返事を書こうと暫くペンを握って便箋に向かっていたが、どうしても言葉だけではうまく伝わらないことに気が付いた。コウヤは再びベッドから転げるように降りると、山積みの贈り物の向こうに埋もれていた過去のデモ音源を漁り、ようやく一本のカセットテープを見つけた。彼は、自分の気持ちを形にするためにメッセージを歌に託した。

この唄の入ったカセットテープを封筒に入れると、念入りに唾で封をした。

宛名には、ただこう記して。

「to A」