「おはよう。よく眠れたかい?」
ベッドの上で体を起こすコウヤに、マサカズは声をかけた。
部屋は、明け方までバーボンの香りで満たされていたが、キッチンから溢れてくるコーヒーの香りと交わり、その香りがコウヤに朝が訪れたことを教えていた。空を埋め尽くす灰色の雲は、寒い冬を少しだけ暖めてくれていた。
再び共に暮らすことになった2人。
事はトントン拍子に進んでいた。勿論2人もこの出来事を、素晴らしい事だと思っていたことには間違いない。とはいえ、彼らはこの生活を当たり前のようにも感じていた。
「コーヒー飲まないか?」
いつまでも起き上がってこないコウヤにマサカズは声をかける。しかし、どことなくいつもと異なるコウヤの様子に気付いたマサカズ。眉間の皴、力ない指先、青ざめる唇。
「…どうした?コウヤ…」
その時。
コウヤは俯き、のどを押さえ、そして哀れみの表情でこう叫んだ。
その言葉を口にするや否や、コウヤの口から赤い鮮血が噴出した。駆け寄りながら、一刻を争うかのように受話器を手にするマサカズ。
悪い夢を見ているようだった。
二人の奇跡的な復活を、中にはこういう言い方をする人もいた。
「時代遅れの遺物」「錆びついた伝説」「置き去りにされたヴィンテージ」
確かに時は流れていた。世間に吹く時代の風も変わっていた。
2人はもがき苦しみながら、今まで積み上げてきた人生を、紡ぎあげてきた音楽を、この時代に嵌め込む術を模索していた。それでも2人は、音楽で個人的な鬱積を晴らそうとはしなかった。今まで体感してきた音楽の力がそうであったように、心を世界に放つことができれば、それでいい。それだけを思っていた。
とは言いながらも、現代人の軽佻に遷移し続ける心に届く音を作るには、今まで以上の努力を強いられることになる。
解放を…心の解放を…!
そう願い信じ続けるコウヤは、人知れず声を枯らし、魂を力の限りに震わせ、振り絞るようにこの唄を歌った。しかしそれは、同時に彼の歌声を蝕んでいたのだった。
「はい!どいてどいて!!」
どこから聞きつけたのか報道陣が病院の前に集まり、その群衆に取り囲まれる救急車の後部ドアが大きく開いた。
ストレッチャーで運ばれるコウヤの姿を、カメラが囲みフラッシュが焚かれる。
報道陣の波の中からやっと抜け出した救命士らは、病院の中にあっという間に消えてしまった。
マサカズは独り待合室に佇んでいた。
時計の音だけが響く待合室。
コウヤの歌声が頭の中を掛け巡る。


